市川きよあき事務所

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演劇

江戸っ子の勘三郎さん

5年くらい前に新橋演舞場で「寝坊な豆腐屋」という勘三郎さんの舞台を観た。時代は昭和37年の設定、現代劇だ。勘三郎さんが40代独身のしがない江戸っ子の豆腐屋。子供の頃母親が家を捨てて飛び出たっきり何十年も生き別れになっている、その母親役が森光子さんだった。
勘三郎さんの豆腐屋はタイトルそのままで朝が弱くて起きられないから毎日寝坊。豆腐がなくっちゃ一日が始まらない近所の人達は、外でお鍋持っていまかいまかと待っている。グズグズしている勘三郎さんを朝一番に起こしにくるというか、安眠を妨害に来るのが新聞配達少年役の勘九郎さんだった。
その一瞬のみの出演。
変なかけ声でポイっと新聞を置いていき、すれ違いざまに二人は顔つきあわせる。ここからは、たぶんアドリブ

「おい、こら待て新聞屋、人様のうちに新聞配るなら挨拶ぐらいしろ!」
「……」
「まったく、親の顔が見たいよ」
「親の顔? 見せるような顔じゃないっすよ…」
「何ぃ〜どんな顔だってぇんだぁ」
見つめあう二人
お約束なんだがドーンと受けてた。

勘九郎さんの口上は立派だった。

初めて歌舞伎を観たのは大学1年の時。友達のお父さんが古典芸能系の演劇評論家で、父の招待券があるからいかないかと誘われたからだった。何しろ貧乏なんでそんなことでもないと行かない。喜び勇んで出かけた。そこで初めて観たのが先代の勘三郎さんだった。女形もやってて、どーみても不格好なんだが、出てきただけで場内の空気が柔らかくなり観客の相好がくずれてる。客をちょっといじってドーンと沸かせる。観客をガッチリつかんで楽しませる役者だった。十八代の勘三郎さんは、役者として観客を楽しませる事に加え、古典を現代劇に引きずり降ろした革命児だった。勘九郎さんもこの中村屋の伝統を引き継いで、楽しませる新たな歌舞伎を作りだしていくことだろう。
ひとつ心配なことは江戸弁だ。いまの70~80歳くらいの人は江戸弁が喋れる人はまだいらっしゃるだろうが50代で勘三郎さんのように使いこなす人はなかなかいないんじゃないかと思う。江戸なまりの残る豆腐屋なんて役が自然にできる人がいるだろうか。歌舞伎の現在も未来も不安になったが、江戸も消えつつあるような気がしてならない。