市川きよあき事務所

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グラフィックデザイン

演劇

『ワーニャ伯父さん』おつかれさまでした。

若いころは映画少年だったので、演劇のわざとらしさや嘘くささが好きになれなかったんです。しかし、だんだん見慣れてくると、その不自由で自由な部分、嘘の部分が魅力的で面白くなってきた。逆にお芝居を見て演劇的手法が0のテレビのようなリアルだけのモノはつまらなく感じるようにもなった。
リアルは形ではなく伝える気持ちにあるのでしょう。
『ワーニャ伯父さん』を観てもそう感じました。まず配役からして実際とは違う部分も多い。
ワーニャの木場さんはまるごとピッタリ、母親役の楠さんもピッタリ。
しかしアーストロフの柴田さんは木場さんより年下だし小須田さんもパッと見はワーニャと釣り合わない。普段の雰囲気なら松本さんはものすごく色っぽい美女というわけじゃないし、戸谷さんがじいさんというのも離れている。極めつけは伊沢さん、17歳の娘の役。最初配役聞いた時に失礼なことに二度聞きしてしまいました。
「伊沢さんがソーニャなんですね」
舞台を見た。ソーニャがいた。

若い頃は昔に書かれたモノをなぜ今演るのかがわからなかった。
演劇はオリジナルにこそ意味があると思ったりもした。
時代が演劇の中身を作っている大きな要素のひとつだからです。
確かにそうなんですが、共感できる部分が少しでもあれば時代モノや外国モノ
はあまり関係がないことも素直にわかってきました。
映画で日本人がロシア人やったら変だが演劇では大して気にならないんですが
チエーホフが書いた『ワーニャ伯父さん』を忠実に観たい人にとっては
今回の『ワーニャ伯父さん』は許せぬ部分があるかもしれない。
賛否両論あるのもよくわかります。
ですが110年経った異国の人がそのまま演ることがそもそも無理で、そこを期待してもしょうがないんです。台詞も忠実にやって今の人に汲み取ってもらうやりかたも正解だし、思いっきり変えてしまうのも正解だと思います。
『ワーニャ伯父さん』に登場するコンプレックスの固まりのような人物達の、うまく人生を送れないイライラうずうずした気持ちがわかればそれでいいんだと思う。
ワタクシは切なかったし痛かった。
そこに演劇の良さがあります。
同じモノは1回しかない、その場に行かないと観られない。
そこが魅力ですね。