松田龍平さんと黒木メイサさんが詩を読むCMが流れていて気になった。
言葉が、文体が、体温を持っている。あたたかい生きた言葉だ。
商品が背景にあって、何かにもたれかかっている広告の言葉とはあきらかに違う。調べたら、高村光太郎の「冬の詩」だった。
冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
見わたすかぎり冬だ
再び僕に会ひに来た硬骨な冬
冬よ、冬よ
躍れ、叫べ、僕の手を握れ
このあとずっと冬の情景を掴みとっていく長い詩だ。
広告としてはズルい。でも敵わないと感じた。
ちょっと前に浅葉克美さんが「くわさわ生活」と書かれた筆文字を持っているポスターがあった。これはパロディで、元ネタは西武の広告。ウッディ・アレンが「おいしい生活」と書いた筆文字を持っているヤツだ。糸井さんのコピーで当時は画期的であった。ただ今それをもじられても誰も覚えちゃいないし感慨もない。普通の人は見てもわからないし、業界の人だってピンとこないだろう。そもそも今「おいしい生活」というコピーがあっても驚かないかもしれない。コピーはその時代の一瞬に強烈に表現されるが、長くは持たない。言葉が独り立ちすることはないような気がする。
それに比べて詩人の詩は何十年経ってもあせることなく心の深い所にジンワリジンワリ溜まっていく。
何年か前にネスカフェのCMが谷川俊太郎さんの詩を使ったことがあった。
商品の記憶はもう遠くなったが、情景を持った言葉はいつまでも残っている。
「朝のリレー」谷川俊太郎
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ