市川きよあき事務所

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日記

水を渡るS君

土曜日、朝早くだというのに携帯電話がなった。
寝ぼけ眼でチラっと覗いたら母親だった。留守電も入ってる。
「ん〜もうちょい」またグズグズ眠りについた
暑いけど、眠い時は眠いのだ。

ちょっと年下のいとこのS君は、生まれた時から足が不自由だった。出産時の不具合によるマヒらしい。今の病院ならなんてことないのだとか。体や病気の運命は時代も大きく左右する。それでも彼はいつも笑顔だった。

S君の家は近所だった事もありよく遊びに行った。S君の家の隣はお寺で、夏祭りには「火渡り」という変わった祭があった。「火渡り」とは、まだ熱さの残る炭が撒かれたむしろの上を裸足で走るのだ。これに挑戦するため、毎年兄貴やほかのいとこ達とドキドキしながら出かけた。この度胸だめしで無病息災を願う。土間の入口には、水の入ったバケツが置かれ、決死の覚悟で走ってきた後すかさず足を投げ込んだ。実際は大した事はないのだが、足の裏が焼けたような気がしてこのバケツにつけると落ち着いた。オレらはきゃあきゃあいいながら度胸だめしを楽しんでいたが、彼の姿はなかった。子どもだった事もあるが、S君の歩く事の苦労をよくわかっていなかった。

S君は結局うまく歩けるようにはならなくて、小学校も車椅子で通った。彼の望みはみんなと同じように普通の学校に行く事だった。その強い意志を受けて、地元の小学校は、はじめての車椅子の生徒を受け入れた。スロープが入口についたが、エレベーターがなかったため、教室を上下階に移動する時は同級生がかわりばんこに彼を背負った。
それから何年かして、S君は親の反対を押し切って関西の大学で一人暮らしをはじめ、またまた親の反対を押し切ってそのまま遠い地で就職した。親に心配される事がずっと嫌だったのだ。彼とは10年くらい前に一緒にご飯を食べたきり会っていなかったが、その後親からはちょくちょくS君情報が入ってきていた。親というものはどうして親戚の誰がどうしたこうしたという話をしたがるのか。まぁそのおかげで、彼が数年前に本社勤務になって東京に来てることがわかり、年賀状のやりとりが始まった。
決まり文句の「今年こそ会いたいですね」をお約束で交わしていた。

しかし、いいかげん「今年こそ〜」もないだろうと去年の暮れに一念発起し、S君まじえて「東京いとこ会」をやることを計画した。したはいいんだが連絡ができない。住所はわかるけど電話番号がわからないのだ。それで田舎にいるS君の親に電話すると「最近ヨットばっかりやっててねぇ なんだかわからんけど先月までオランダ行っとっただよ」と言われる。なんでヨットの…電話切った後、ハタと思った。
ヨットでオランダっておかしくない?パソコンで打ってみる。
S君 ヨット 出た。 パラリンピック日本代表 えっ 
S君まじえて「東京いとこ会」が「S君囲んで東京いとこ会」になった。久しぶりに会ったS君はやっぱり笑顔だった。みんなからは、いつからやってただのルールがどうのだのなんちゃらかんちゃら質問攻め。そして彼からは日本チームはまだロンドンパラリンピックの出場が決まってない事。枠に入るにはランキングが上の2カ国には勝たねばならず、それもラストチャンスしかない事を聞いた。競技人口の少なさから、事業も仕分けされちゃってて予算もかなり厳しいらしい。彼の口調からは8割くらい無理な感じだった。

ようやく母の留守電を聞く。「S君、パラリンピック決まったって。以上」
親子間の留守電で以上って…
まぁそんな事はともかく、よく考えもしないでS君に電話した。
寝ていた ものすごく…スマン「もしかして外国? ごめんねオメデトウ!」
それだけ言って、あわてて切ってネットで調べると7月8日までがラストチャンスと言ってた国際大会だった。決めたばかりだったのだ。スマン。

オレが何年も惰眠をし、ボンヤリしている間に、彼は水の上をスイスイ渡っていた。