大学1年の夏休み、観光バスの車掌さんのバイトしたことがありました。ガイドのいらない簡単なツアー、つまり女性のバスガイドさんがいなくても大丈夫なツアー用の車掌さんです。泊まりの場合、男女だと二部屋とらなくてはいけないから、という事情もあるようですが、ルールで1人必要なようで、しかたなく男子学生バイトを付けてるんです。バス1台だけの小さなツアーが多いので運転手さんは毎回違います。どの運転手さんに当たっても、使えない上に話の合わない学生と一緒なんで機嫌は悪いんです。当たり前ですね。
仕事はと言うと、出発前の窓ふき、掃除、そそうがあった時の掃除(小学校の時はどんよりします)、駐車場内の誘導、などなど…
出発すると、ガイドはしないんですが、最初の注意のアナウンスはします。
「みなさま〜本日は○○急行観光バスをご利用いただきありがとうございます。…危険ですので窓から手や足など(ここウケるとこなんで、繰り返します)あ、し〜など〜出〜さないよ〜うにお願いいたします〜」
このお決まりがすんだら後は目的地までやることはほとんどありませんが、ここからが大変、ひたすら我慢地獄。なにが地獄って…眠らない我慢です。なにしろ座っているのが運転席横のちっちゃな折りたたみ椅子。真剣に寝たらステップに落ちるんで爆睡はできませんが、ここほど眠くなる場所はありません。180度に広がるピッカピカのフロントガラスの開放感はハンパなく、すてきな景色とともに七色に反射した太陽光線が一直線に差し込んできます。絶妙の暖かさ、ここはオヒサマ天国です。眠くなる場所選手権あったら間違いなく1位。猫だったら1秒で気絶しますよ。そこへもってきてブワ〜ンブワ〜ンと気持ちよく右左に大回りで揺られるもんだからモーレツに眠くなる。目的地までの数時間、眠いのを我慢するのが仕事といってもいいくらい。もちろん寝ちゃあいけません。でもウトウトします、で、運転手さんに怒られる。コックリします、怒られる。この繰り返し…。
その日は富士山5合目見学の人達を乗せていました。いろんなところへ立ち寄った後、富士山でお昼だったと思います。バスが富士山に上りはじめた時です。気がつくと運転手さんの機嫌が悪いんです。こりゃあさっきウトウトしたんでまた怒られるぞと思い、気を引き締めどうにか寝ないで五合目につきました。
バスを降りると、やっぱり運転手さんが浮かない顔してます。
「どうかしたんですか?」
「ブレーキの調子がおかしい、効かなくなってる、上りはじめたら気づいた…」「えっ」
「近くにいるバスになんとか来て運んでもらうから、お客さんに説明してくれ」
ブ、ブレーキの故障。しかも富士山で…一大事です。
「どのくらいで来られるんですか?」
「2時間あれば…大丈夫だろう…ちょっと連絡する」
携帯のない時代だったので連絡も大変です。
近くにいるバスにピストン輸送してもらうわけですが、乗り換えるバスにもお客さんがいるんでそんなには早くこられない。結局、うちのお客さんには五合目に3時間くらいいてもらい乗り換えてもらいました。午後の予定はキャンセルになってしまい文句も言われましたが安全第一です。ともかくお客さんが山から下りられてよかったです。
みんないなくなってガラ〜ンとしたバスに運転手さんと二人残りました。
で、どうなるのオレ
「日曜日で近くの修理業者に連絡つかないから、東京の本社からきてもらうよ」
「ど、どのくらいで来られるんですか?」
「まぁ夜だな」「…」
夕方になると五合目は急に静かになりました。登山者は登っていなくなり、観光客は降りていなくなる。当然店は閉まる。まっ暗、本当にまっ暗。広い駐車場にはうちのバス1台残してすっかりいなくなりました。観光地が深山に変わりました。五合目とはいえ、さすがは日本一の富士山。真夏でも5時すぎると半袖では寒いです。その温度差に驚きました。しかたなくバスの中で時間つぶしていると、8時過ぎた頃だったか、運転手がホットコーヒー持って寄ってきました。
「降りるから…車がいないし…ちょっとやってみる」
「…」「ダメそうだったらやめるから…エンジンブレーキでゆっくりいけばなんとかなる。 修理するのにも下でやったほうがいいから」
「…」「大丈夫だって、危ないとこほとんどないから」
ほとんどでしょ…。とにかく下りることになりました。
「ひだり、よく見てくれ」
見ますとも見ますとも。折りたたみ椅子をバタンと倒し、しっかり身構えました。緊張しましたが不思議と危ない感覚はなかったです。
バスの重みを重力にまかせるように、ユルユル、ユルユルほんとに歩くくらいのスピードで降りました。30分か1時間か…とにかくゆっくりゆっくり下りました。対向車がこなかったのが幸いでした。
ただ乗ってただけですが、しっかり目を開いて注意だけはしました。
無事に降りると下に修理の車が待ってました。
「お、降りてきたの〜、上まで行こうと思ってたのに…」
「いや〜上は暗いし…下の方がやりやすいよ」
それから部品交換やらなんやらして宿に着いたら12時過ぎてました。
長い長い富士山の1日でした。
夏の間、それからも、いろんな運転手さんに怒られ起こされながら色んなとこへ行ったんですが、富士山の話をすると
「あれに乗ってたのか〜!」と一目おかれ「大変だったろ〜」と優しくされ、ちょっと仲間にしてもらえたようで嬉しかったです。
なにかと話題の富士山ですが、行ったのはその時だけです。