市川きよあき事務所

市川きよあき事務所

グラフィックデザイン

日記

坊主丸もうけ

高校時代の同級生に武内という物書きがいて、その彼から久しぶりに本を書いたので興味があったらぜひ…というメールがきました。三陸の被災地を、八戸から仙台までの海岸線400kmを自転車でたどって取材した本だそうです。すぐにAmazonしましたよ。こういう連絡は嬉しいしとても励みになります。

51edL+lRCWL._SX341_BO1,204,203,200_.jpg

高校時代の高校とは愛知県の愛知高校。愛知高校という名前がさも県立のようですが曹洞宗系の私立。いまは共学ですが、当時はマンモス男子校。1学年50人みっちりいて19クラスもありました。当然、青いも春も薄い高校なんで大人になって同窓する機会も期待もあまりなく、同級生でいまだに付き合っているのは二人だけです。一人は前にも登場した加藤。彼は下等という名で放送作家を長くやっていて、20代の頃は一緒にどっぷりお笑い芝居なんかやっていた仲間。そしてもう一人が文筆業の武内。武内とはお互い生存確認くらいしかしない仲ですが、そこはデザイナーの自分とは同じ穴のムジナ。遠くから不幸せな匂いをかぎあっては安心しあってます。貧乏〜?オレもだよ〜?薄くなった〜?オレも〜みたいな感じですかね。

高校の三年の時、当時の校長がとてもワンマンで、教員組合などに全く知らせず、独断で受験料などを値上げしてしまうという暴挙があり、それに憤慨した教員組合がストをするという事態になったんです。授業以外の時間に正面入口で座り込むといったスタイル。こちとらストというものを見るのは初めてでした。その座っている先生達の姿に影響受けたのか、加藤と武内と三人である企みをしました。それは高校の中心にある、県内でも三本の指に入るであろうかという1500人も収容できる馬鹿でかい大講堂のてっぺんに、「坊主丸もうけ」と書いた横断幕を真夜中に忍び込んで張ろうというものでした。うちが繊維関係で布は山ほどあるので、三人で何メートルずつ生成りの生地を持ち帰り、それぞれが縫って合わせ5m×10mくらいの幕を作りました。その後、守衛の見回り時間などを調べたりしてたんですが…結局そこまで。実行する勇気も度胸もなかったんでしょう。もっともやっていれば退学になり、その後どうなっていたのかしれません。ただあの時のちっぽけな反骨の疼きみたいなものが、その後の三人を巻かれない自由業の道に進ませたのかもしれません。