自由が丘近辺に住んで、10年以上になるのにいまだに地形が理解できない。
もっとも近辺といっても以前も二駅離れていたし、今は引っ越してまたもう二駅離れたので自転車使っても20分以上はかかる。
それでも天気の良い日には自転車で出かけたくなる。
自由が丘には自転車でぐるぐるしたい魅力がそこかしこに潜んでいるからだ。
そのあげく地形が理解できなく迷う。帰りにちょっと違う道から帰ろうと思うと、もう迷う。なんとな~くはわかっているものだから余計始末が悪い。
知ったかぶりで違う方向に向かうからなのだ。
しかし行きと帰りが一緒の道は面白くないからしょうがない。
先日の土曜日もちょっと迷った。迷ったから楽しい寄り道ができた。
それが宮本三郎記念美術館である。入口を入るとすぐ左手に受付があった。
あったのだがお姉さんに緊張感がない。怪訝そうである。
「おっお客さん?お客さんですよね?」って感じ。
こっちもフラッと来たので、そこがどういう所なのかまだ理解してないし、顔に目的意識がない。それが伝わったたからなのかもしれない。
200円の入場料払って二階の展示室に入って緊張感のない理由がわかった。
誰もいないのだ。広くはない展示室だが自分一人には広すぎる空間。
はりつめた空気、そして静寂。
もったいない。でも満足感は倍増する。
不勉強で宮本三郎という画家はよく知らなかった。常設展示してある絵画を見ると独自のスタイルをくずさないタイプではなく時代時代で作風も模索し変化していった人のようだった。失礼な言い方だが一流の方の絵画は迫力がある。
仕事柄イラストを見る機会は多い。
イラストは好きなんだが絵画と違うところをあえていうと絵が描かれた時間の長さが違う。そして何週間もかかって描かれた絵は善し悪しでなくそれだけで存在感がある。存在感は少なからずキャンバスに向かう時間の長さも大きな要因だと思う。
さて展示は画伯が装幀を担当された本や所有されていた書籍、また資料であった。
5千冊余りの蔵書とあるので、ほんの一部なのだろう。
向田邦子なんかのをよく描かれていた中川一政画伯と同じ世代なのだろうか?
同じ匂いがする。
獅子文六、大佛次郎、石坂洋次郎など昭和初期のブックデザインを沢山見ることができた。入口にはの画伯がもらった牛年の年賀状が陳列してあっったりしてそんなとこも面白かった。この展示のポスターも素敵だ。
そもそも古い本や装幀が好きなので、迷い道で思わぬ拾いものをしてとても楽しかった。
やはり道にはすすんで迷うべきなのだ。