市川きよあき事務所

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グラフィックデザイン

演劇

渾身の仲代ゴッホ

ネットで検索すると仲代さんのことをブログで書いている人はけっこういますが、ほとんどが名前を間違えていて達也になってます。パソコンの変換のせいだと思いますがあまりに多いのでちょっと気をつけてほしいです。僕ら世代は子供の頃から数多くの映画やテレビのクレジットで見る達矢の矢の字が強烈に刷り込まれています。黒澤、三船、仲代、永遠の銀幕のスターなのです。黒澤の澤が沢でなく澤であるように達矢は矢なのです。
はじめて無名塾のお仕事をしたのはフリーになる前です。まだまだ若造の頃、紹介してくれる方があり、無名塾のお芝居の新しいデザイナーの候補として仲代さんと宮崎さんに顔合わせすることになりました。次の舞台の演目はイプセンの「ソルネス」に決まっていました。ソルネスなんて聞いたこともありません。イプセンも「人形の家」のタイトル知ってるくらいでほとんど知りません。そんでもって会うのは大俳優と演出家。緊張するなというほうが無理です。とにかく今やれることをやろうと思い、脚本をなんとか探して読んでから行きました。当日、無名塾の広い稽古場に入ると真ん中に机が置いてあり、よく映画で観た事のあるお顔がありました。仲代さんです。スクリーンの顔が目の前にあるってなんだかおかしな気分です。
最初に話したことをいまでもよく覚えています。お二方の正面に腰掛け、ドキドキしながらジッとしてました。お二人はなんとなく不安げに見えました。しばらくすると宮崎さんが「今回のはイプセンの中でも難解なものでねぇ」と切り出されたので、間髪入れずに「読みました」と言うと、パッとビックリしたような明るい顔になり「えっどうして、どこで」と聞かれたので「図書館で探して読みました」と答えました。すると宮崎さんは笑顔でゆっくりと隣に座っていた仲代さんの方をむいて「読んでくださったんですって」と一言、仲代さんは小さく頷いてくれました。どこの馬の骨だかわからない私を受け入れてくれた瞬間です。
それから15年。まだまだ緊張しますが、まあまあ普通にしゃべれるようになりました。仲代さんは今年77歳、喜寿です。今年は秋からゴッホ、「炎の人」に挑戦されます。まだ5年くらいはやれそうにお元気ですが、大きな公演はもしかしたらこれが最後かもしれません。4月の頭に撮影。最後かもという思いでいつも以上に気合いが入ります。バックにゴッホのひまわり、手前に仲代ゴッホ。ひまわりの前の人物写真は力強くパワーのある写真にしないと仲代さんとはいえ絵に負けてしまいます。ひまわりは本物の画像を借りられたのでなおさらです。カメラマンは吉村さん。力強いザラザラした骨太な写真にしたかったのでお願いしました。衣装の麦わら帽子で悩みました。きれいすぎるとどこか不自然なのです。黒澤映画の「夢」のゴッホはきれいな普通の麦わらでしたが、なにか違うと感じていました。そこで昭和初期から手作りの麦わら帽子を作っている帽子屋さんに頼み、仲代さんの頭に合わせていくつか試作を作ってもらいました。使用したのは一番ボロボロによごしたモノです。

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今回の撮影のライティングです。ホリゾントの照り返しも生かしたいのでバック紙を逆にセットしました。なんだかもったいないようですがこれがいいんです。仲代さんが撮影中ゴッホに没入しやすいようにカメラ横に実物大のひまわりの模写を置き、メイクを終えた仲代さんがカメラの前に腰掛け、ひまわりを見据えて集中すると静かに撮影が始まります。最初はアメリカのカウボーイ親父にしか見えなくてちょっと心配だったのですが、30枚くらい撮った頃から頬がこけ、苦悩した表情になり段々ゴッホになっていきました。ライティングのいい場所をカメラマンが導いたこともありますが、ゴッホに変わっていく役者は見事、流石です。「いや~ゴッホだよゴッホがいる」吉村さんが口走ります。目の前に確かにゴッホが座っていました。この時点ですでにポスターが成功した事がわかりました。

舞台もそうですが撮影も終わると、もとの何もなかった状態に戻ります
さびしくて、あと戻りできないむなしさが襲ってきますが好きな瞬間です。

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ゴッホは37歳で自ら命を断っています。30代のゴッホを77歳の仲代さんが演じるとどうなるのか楽しみです。観客に伝わせられれば、演じる役者の年齢や性別、人種、手法は問わない。そこが演劇がほかの芸術、映画、テレビなどとは違う面白いところでもあります。観客も歩み寄って補い合いリアリティが生まれるのです。

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