市川きよあき事務所

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グラフィックデザイン

演劇

「寿歌」を観て酒場で語ろう

いつ以来だろうか?久々にイメージの羅列で考えさせられるお芝居を観ました。そうかお芝居ってこうだった?こんな感じでもいいんだったなと納得した次第です
新国立の小劇場で上演中の「寿歌」。面白かったです。北村想さんが1979年に発表した作品。遠い昔に彼の劇団のTPO師★団、そして加藤健一事務所の公演で観てます。今、仕事で加藤健一事務所の同じ「寿歌」のチラシをやっていて勉強のため観てきました。登場人物は3人。旅芸人の座長ゲサクに堤真一さん、キョウコに戸田恵梨香さん、そして謎の人物ヤスオに橋本じゅんさん。昔観た時はゲサクに加藤健一さん、キョウコがうろ覚えなんですが、たぶん熊谷真実さん、ヤスオが星充さんでした。当時は刺激的で面白いけど訳がわからない、だけど感動といった印象でした。今回はその時の訳のわからない穴が、年もあるんでしょうが半分くらい埋まった感じです。埋まったそばからドンドン空いてっちゃってるのかもしれません。つじつまがはっきり見えない事、それは楽しくもあります。今回作家によりプロローグが加筆されましたが、その楽しさを奪われたような感じで、いじらない方が良かった気がします。このおもいおもいの勝手なつじつま合わせが酒場のネタになるんですから。
最近活躍している若い人の作品はどれも登場人物の線がちゃんと通っていて整ったモノばかりです。話が支離滅裂だったり、やり逃げするようなモノにあたる事はまずありません。題材やテーマは飛んでいてもちゃんと作劇されている。テレビや映画にしても大丈夫な作品が多く、逆に不満でもありました。そこへいくと、この「寿歌」はお芝居にしか成立しません。失礼ですが、イメージの思いつくまま書いちゃったら、たまたま話になっちゃったような作品。正解はどこにもなくやり方は自由、解釈も自由。自宅へ持ち帰ってからもお芝居が続く…何年か経って、ふっと頭をもたげ思いだす。あとをひきます。核戦争あとの瓦礫の中を、家財一式リアカーに載せて彷徨う旅芸人のお話なんですが、断片的で拡散していて観客は補っていかないと自分のモノにできません。この補う行為がお芝居を観る醍醐味でもあります。だからしつらえも何でも良いと言えばいいんですが、今回のしつらえは自分の好みとはちょっと違ってました。こういう正解の方向性が未知数の作品はスタッフも悩むと思います。その悩みが見え、悩みを払拭せんがためにしつらえが主張しすぎた感がありました。パンフのジャージ姿の稽古写真を見て、いっそこれでもいいな、これに着物があったらそれでいいなと思ったくらいです。補いやすくするなら、リアルな「どん底」のボロボロで煮染めたような衣裳もいいでしょうが、そうなりすぎてもつまんないし、まぁなんでもいいんでしょうね。 カトケン版はどんな衣裳にするのでしょうか、そんな事を考えるだけでも楽しみです。観終わったばかりなのに、もう違うキャスト、演出でやる「寿歌」を観たくてしょうがないです。 今回のお芝居のスタイルにカタルシスを感じず、面食らった人も多いと思いますが、良かったらカトケン版「寿歌」も観てください。別の穴が埋まったり、空いたりする戯曲の面白さを体感でき、酒場でウダウダと芝居の話をする80年代的楽しさを味わえるかもしれません。