『炎の人』はヴィンセント・ヴァン・ゴッホの生涯を描いた舞台だ。市村正親さんがゴッホを演じていて良かった。凄い集中力、想いが伝わってくる。全身全霊をかけて役に取り組んでいるのがわかる。こういう捨て身の役者の演技は気持ちがいい。
芝居全体は自分の生理に合わない部分もあった。。まず前半1時間40分は長い。せめて1時間20分。この20分が大きい。そもそも1時間40分だけだったらなんともないのに、後半も1時間10分あると頭に入れて観ているせいなのか、ちょっと我慢大会というムードが出てきてしまった。進行がゆっくりで展開があまりないのも影響していたのかな。それと後半のアルルの黄色い家の美術の崩れすぎたパースも少し気になった。観劇中に役者の芝居がやりにくそうに見えたりしたからだと思う。ゴッホが狂うのは誰もが知っているので説明過多かもしれない。すごくキレイでステキな美術だったのでそこだけが残念だった。少し変くらいが狂気を感じるものなのだ。
実際、黄色い家の絵は少し変でそこがなんとも切なく痛々しいのだが引きつけられる魅力がある。耳を切った後の糸杉になるともう狂気がはいりこんでいて絵に引きずり込まれそうになるほどだ。4年くらい前のゴッホ展でこの本物を見た時にそう感じた。
凄い。けっこう小さい絵なんだが凄かった。
実際のアルルの黄色い家
今回舞台を観て、ゴッホ展の時あまり気に留めなかった部分がよくわかり、よけいに興味が沸いた。宗教、模写、弟のことなど…評伝モノはそういう楽しさも多い。
模写がゴッホの絵の中には数多く出てくるがその中に浮世絵の英泉がある。
「雲竜打掛の花魁」という絵が「パリ・イリュストレ」という雑誌の表紙に、なんと逆版で掲載されていて、ゴッホがそれをトレースして絵を描いたのでゴッホの絵も逆版になっている。もとの絵には英泉という文字の落款が入っているので日本人なら間違えない。いまやったら刷り直しだ。職業柄ヒヤヒヤする。
本物 雑誌 ゴッホ
渓斎英泉。浮世絵の中で一番好きな画家だ。H作や駄作も多いのだが女性をただきれいに描くだけではなく、日常の生活の中の気持ちや息遣いが感じられる作品が面白い。ため息ついてたり、口紅塗ってたり、針仕事してたり…今様美人十二景はその代表作だ。
そこいくとゴッホの模写した「雲竜打掛の花魁」つまらない。普通だ。
英泉、もっといい絵があるのに…なんて思ったりもした。
テオ
弟のテオのことも少しわかった。ゴッホが亡くなったわずか5カ月後に亡くなっている。33歳、彼もまた精神を病んでしまったようだ。ゴッホは生前1枚それも400フランという安値でしか絵が売れなかった。
画商のテオは兄ゴッホの才能をどこまで信じていたのだろうか?売れなくても底知れぬ凄さは感じていた気がするし、何よりもお兄さんのことが大好きだったのだ。
もし才能がなくても画家でなくても兄のことを生涯気に掛け、支援し続けたに違いない。
700通に及ぶゴッホの書簡集の最後には
「ともあれ、僕は僕自身の作品に対して人生を賭け、そのため理性は半ば壊れてしまった─それもよい…」と締めくくられている。壊れゆく兄を守り、最期に立ち会った弟。
ゴッホもだが、なんだかテオが可哀想でならない。