市川きよあき事務所

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グラフィックデザイン

演劇

すべては下等から始まった。

5年前の春、お昼ちょっと過ぎのことだった。
突然、下等の奥さんで女優さんのチホコさんから電話があった。
「下等が倒れた」血の気が引いた。「下等が倒れたから…」
「すぐ行きます」そう答えるのがせいいっぱいだった。脳出血で倒れ数年前に亡くなった親父のことがよぎる。頭か心臓か、どちらにしても大変だ。
くも膜下だった。救急車で慶應病院に担ぎ込まれたのだ。くも膜下は後遺症の心配は少ないが命を落とす危険は普通の脳出血の何倍も多い。病院に駆けつけると、チホコさんが一人集中治療室の前に立って待っていた。お医者さんの話だと、非常に危ない状態で手術は8時間くらいはかかり、助かる確率は3割だという。すぐに名古屋の実家に電話をかけ、お母さんに来てもらうことにした。下等とは名古屋の高校時代からの付き合いの一番古い友人で、一緒に演劇なんかをやった仲間だ。いま何をしなくちゃいけないのか何が出来るのか整理がつかない。こういう頭の病気は突然訪れ、患者とは話ができないのでこちらで判断するほかない。本人が何をしたいのか誰に連絡とったらいいのかを推測する。とりあえず下等の会社関係、友人、芝居仲間などわかる範囲で連絡した。
午後になって手術が始まった。手術中待合室で待っていられるの人間は、限られた近親者だけということで、チホコさん、ワタシ、それと心配して来ていただいたチホコさんの所属する事務所の方、親しい脚本家のホタルさんが、無事を信じ待つことになった。何時間か経つと、昼間騒がしかった病院は外来患者がいなくなり次第に静かになった。夜になると病院は一段と寂しくなり、病院の持つ独特の空気が充満する。清潔さと病の空気だ。そのうちに待合室の明かりだけを残して暗くなり、審判を待つ数組の家族が静かに待つだけになった。咳ばらいの音もははかられる重い空気がのしかかってくる。夜の9時ころだったか名古屋からのお母さんが到着した。一応の経過は説明したがなにぶん情報もないのでただ手術の終わりを待つほかない。さらに何時間か過ぎて真夜中になった。あんまり長く待っていると妙なもので気持ち的にも余裕が出来、小声で話し合うようになる。小声というのは 我々より早く手術が終わった家族の中に、深刻な悲しい知らせを受ける人達がいるからだ。ゆとりや余裕がなんとなく生まれたからといって軽はずみな事は言えない。
お母さんと下等の昔話が話題になった。高校時代のこと、東京から名古屋まで歩いたこと 懐かしい話が続いたあと、ふいにお母さんが触れてはいけない話を切り出した。
「イチカワちゃん、ホラ何て言ったっけ、ひろきとホラ演劇やってたじゃない。え~何だったヘンな名前の」「…」首をかしげるしかない。チホコさんもホタルさんもうつむいて黙っている。周りにいるハンカチ握りしめて悲しみをジッと堪えている人達の前で言えるわけがない。「ホラホラ…だめねぇ年とっちゃって…イチカワちゃんあんなに長く一緒にやってたじゃない」「チホコさん何て名前だったっけ」チホコさんが口元ピクピクしながらオレの方を見る。耐えるしかない。やっと波が治まって静寂が訪れた時にお母さんが晴れやかな顔でこちらを向いた。まさしくアハ体験だ。
「ムチムチよぉ、ムチムチ、なんて変な名前つけたんだろう」
「あ~ムチムチ、ムチムチ、イチカワちゃん忘れちゃったの」
(あっちゃー忘れてはいませんよ。お母さん声を落として落として)
チホコさんもホタルさんも笑いを堪えるのに必死だ。
ムチムチそう夢知無恥と書いてムチムチ。もっともこの場にふさわしくない名前、そうムチムチだったのだ。
下等は結局予定を越えた11時間もの手術が成功し、しばらく入院してケロッと治り、養生もせず、どうせ死ぬんだから好きなことをするといって15年も休んでいた夢知無恥の劇団活動を再開した。待合室のムチムチ連呼が脳に届いてしまったのだろうか?
かく言うオレもまたずるずる手伝っている。慶應病院の担当看護婦さんもちゃっかりお客さんとして呼んでいるんだが、看護婦さんの方もけっこう楽しんでいるようで今回の「猫舌ブギ」もお友達といらっしゃるとか…なんだかなぁ。

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