市川きよあき事務所

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グラフィックデザイン

日記

3月 その1

9日
前進座創立80周年記念パーティー に出かけた。
1000人近い人でごったがえしている会場で三津五郎さんを見かける。八十助さん時代、保険会社の80周年の新聞広告に出ていただいたことを思いだした。
九州の演劇観賞会の方がいらしたのでご挨拶。やはり11日の無名塾公演「炎の人」の初日にもいらっしゃるようだ。
10日
加藤健一事務所の次の作品をやることになり、衣裳合わせに東京衣裳へ。衣裳屋さんや小道具屋さんに行くのはなんだか楽しい。俳優さんと一緒に、いろんなお芝居の衣裳が詰まった段ボールの間をぬけると畳二枚くらいしかないスペースに出た。その小さな部屋で着物の衣裳合わせなのだが、入ると真っ黄色の「炎の人」のチラシが目に飛び込んできた。衣裳さんのお顔に見覚えがある。そうだ、能登でお会いした衣裳さんだ。
「いまゲネやってますよ」「明日初日行きますか」
衣裳合わせの合間に、控えめにちょこちょこ話す。
思いがけなかったので嬉しかった。
11日
いつもよりいい格好をして出勤。公演は7時。ご飯食べてダラダラしてたら、グラグラっと来た。地震だ。ストーブを消し、ドアを開けて、だるまさんがころんだ状態で待つ。「けっこう大きいな」と感じたのだが、まだ余裕ぶっこいてた。とたん、グゥオラーと凄い揺れ。猿のシンバルのおもちゃが棚から落ちて騒ぎだす。バタバタと本が落ちる。あわててスリッパのまま明治通りに飛び出した。近所のビルから何百人もの人が出て来た。余震はしばらく続いた。はじめて体験した大きな揺れだった。
それでもまだ気持ちはのんびりしていた。事務所にはテレビがないし、大惨事だとは想像できていなかった。駅まで行ったが電車は動きそうもない。
どうする初日。確率は低いが、劇場が大丈夫ならお客さんが10人でも演るかもしれない。いたる所に電話するが携帯はおろか固定もつながらない。個人のブログやHPにも出ていない。そうこうするうちに5時を過ぎた。演るのか中止か。
恵比寿〜池袋サンシャイン劇場まで10キロくらい。明治通り1本だ。歩くか。途中でバスに乗れるか、また電車が動きだすかもしれない。マラソン選手なら30分で走れる距離。なんてことない…なんてことあった。運動不足もあり2時間半かかった。2幕からでもと考えて歩いていたのだが、劇場へつくとエスカレーターも止まっていて120パー中止の雰囲気。暗い…。一応挨拶だけと思って4Fの劇場へ。
「あれっどうしたんですか? 中止ですよ」みんなの顔は落ち着いている。騒動の波が引いておさまっている感じだ。松崎さんがお茶を出してくれた。一気に飲んで、堅苦しい上着を脱いで座ったら落ち着いた。
やはり中止だったか…。津波が凄いんですよ、進藤さんがテレビを見ながら教えてくれる。携帯のワンセグではよくわからなかったが半端じゃない。
一息ついてからまわりの様子を伺うと、役者さん達はどうやって帰るか、何台かの車に誰が乗れるのか算段をしてる最中。やさしい中山さんが、僕いいですよとか言ってて、誰が書いたのかホワイトボードの○○車の名前の一番上にオレの名前が…あっちゃー。すかさず
「帰ります」といって劇場を出た。「明日やるかどうかは五分五分です」と言いながら本郷さんが出口まで送ってくれた。KY…これこそKYだったなと帰り道反省。行きは急いでいたので疲れたが帰りはそんなでもなかった。道々お茶を配っている人、トイレを貸している店があった。往復したバカモノはオレだけだろうが、みんな自分の足で帰宅した。江戸時代は普通だったんだろうか。渋谷まで来ると電車が動いていた。
13日
五分五分…11日の夜の時点ではそんな感じだった。
大地震に大津波、そして原発で0になり、仲代さんが全公演中止を決めた。決断の早さ、潔さに驚いた。78歳、そのうちまた演ればいい はない年齢だ。舞台の出来も素晴らしかっただけに残念だが、一番演りたかったのは仲代さんなのだ。