市川きよあき事務所

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日記

芭蕉と小さいおうち─その1

ファミリーヒストリーなんか観てると自分のルーツが気になったりします。小学生の頃ルーツ話で盛り上がると、みんななぜか自分の家だけは元は武士だと思ってる。ある時「お前は目と指がお百姓さん」と決めつけられ、頭にきて帰って親に聞くと「この辺はみんな百姓だよ」とそっけない返事。いまは農業に憧れがあり、尊敬しまくりですが、昔はテレビの影響なのか武士に人気があったようですね。
さて先祖ですが、変わったところでは父親のひいおばあさん(高祖母)の妹かお姉さんが形原の斧八という任侠の親分の姉さんになった人がいるそうです。外戚なんで全く関係ないんですが、吉良の仁吉と兄弟分だそうで次郎長三国志にちょこっと出てきます。で、うちのご先祖姉さんはと言うと、斧八親分が留守の間に家にやってきた渡世人を、「出かけてます!」ときつく追い返した。というたわいもない話だけが百何十年経った法事の暇な時間に出るくらい。「出かけてます!」だけではファミリーヒストリーにならないですね。
自分が知ってる一族の中のではなんといっても中村俊定先生です。岩波文庫を四冊も出されている芭蕉の研究家。おじいさんの弟で大叔父さんにあたります。中村姓のお寺に養子に入ったんですが、文学がやりたくて早稲田大学に進み、その後俳諧研究に打ち込みました。継ぐはずのお寺はどうなったんでしょうか?謎です。
こちとら芭蕉も俳句も全く興味は無かったんですが、本屋さんに入り岩波文庫の棚の前を通ると俊定先生の本を探し、あると誇らしい気持ちになってました。
俊定先生の家から5分くらいの雪が谷に父親の弟、つまり叔父さんが住んでいまして、叔父さんの家に遊びに行ったりした時に何度か俊定先生宅にもご挨拶に伺いました。いまだったら色んな事を多少は話せるのに当時はレベルが違いすぎて…もったいないことしました。先生はご高齢だったのでほどなく亡くなられましたが、自分の子どもも孫も甥っ子も親族みんな俳句に興味がなくって継ぐものがいないと嘆いてらしたのを覚えています。先生の集められた本は全て早稲田に寄贈され中村俊定文庫になりました。

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それからそれから15年くらい経って本屋でなにげなく「芭蕉俳句集」を買い、それからそれから5年くらい積ん読があって、なにげなく読んでみるとこれが実にわかりやすくまとまっている。これぞ食わず嫌いだったのかと思いました。芭蕉は天才ですね。スケールがスゴい、俊定先生がどこに惹かれどの句が好きだったのかなどお聞きしたかったです。
今年の5月ころの事です。雪が谷の叔父さんに会いに行った時に
「最近やっと俊定先生の 芭蕉俳句集 読んだんですが、面白いし、わかりやすいですね」と言うと
「年とるとああいうものが読みたくなるんだよ」とつれない返事。
そうなのかそうであってもいいやと思っていると

「小さいおうちって知ってる」と聞かれる
「映画ですか? 松たかこの?」
「いや映画はまだ観ていなくて本を読んだんだけど、出てくる家が俊定先生の家そっくりなんだよ」
「へぇ〜雰囲気がですか」
「いや赤い屋根とか雰囲気は全然違うんだけど、間取りがそっくりでね」
俊定先生の家の間取りを思い浮かべた。
(続く)